商店会員インタビュー vol.4「まちなかぶんか小屋」
2013年、市の中心市街地活性化事業の一環で文化・芸術の拠点を作ることを目的に、市の委託としてスタートした「まちなかぶんか小屋」。
翌年には市民により“まちなかぶんか推進協議会”が発足し、現在は家賃と一部の人件費のみ市からの補助を受けるほかは、会費や事業の収益で運営を続けています。
今回は有村事務局長と共に運営をされている、事務局の竹田郁さんにお話を伺いました。
-竹田さんがまちなかぶんか小屋に携わることになったきっかけは?
最初はドキュメンタリー映画の上映会を行っていたチームの一人としてここに通っていました。
東京で生まれ育ち、ソーシャルワーカーとしてNPOで働いていた頃に転勤で旭川に来たのですが、前職を離れてからは「次は誰かに声をかけてもらったことを仕事にしよう」と思い就職活動もしないでいたところ、一番最初にお声をかけてくださったのが事務局長の有村さんでした。
−旭川に最初に来られた時はどんな印象を受けましたか?
初めて電車に乗って旭川に来た時は、広い畑があって木の間にポツポツとお家があって、カリフォルニアみたいだなって思いました!アメリカには行ったことないんですけど。(笑)
いざ街に着くと、人気もまばらでなんとなく暗い印象を抱いたのを覚えています。
でも暮らしていく中で同じ趣味を持った方と知り合いになり、つながりが広がるごとに新しい発見がありました。
親しくなった友人に、山に行こう、クラブに行こう、ライブハウスに行こう、と誘われているうちに、何もないと思っていたビルの中や小さな小路、屋上なんかにも素敵な空間が広がっていることを知ったり。結果10年住んでいても新たな出会いや発見が毎年あって、面白いです。
-旭川で暮らしてみて、東京での暮らしとの違いはどのようなところに感じますか?
東京が大好きだし、人混みも好きだし、スクランブル交差点も好き。東京を出たいと思ったことは一度もありませんでした。だけど東京にいると「どこでご飯を食べよう」「どのイベントに行こう」と常に何かを選んでいたんですよね。
旭川では、聴きたい音楽があれば自分たちでフェスをやるしかない!となるし、いつもふざけているような友人が実は家を作れたり、食べるものを自分の手で育てていたりすることが、私にとってはカルチャーショックでした。
選択肢が少ない分、一から全て構築しなければいけない。選択する日常から作り出す日常になったことを、とても面白く感じています。
この街には本当にたくさんの作り手やプレーヤーがいるので、10年を過ごしてもまだまだ完全には繋がらなくて、それが面白いと思わせる要素の一つ。
ですが、これから何かを始めたい、形にしたいと思う人がいたときに、その人たちを引っ張っていけるようなプロデューサーがこの街には必要なのではとも考えています。
-この街の中で「ぶんか小屋」はどんな存在だと思いますか?
何も用のない人が次々と来ては、来た人同士でお話をしたり、それが公共空間としてのぶんか小屋の役割の一つだと思っています。なんだかよくわからない空間だけどお金ではないコミュニケーションの生まれる場。
カフェでコーヒーを買うにしても、ご飯を食べるにしても、お金でコミュニケーションを取らない限りは人と会えなかったりしますよね。
経済活動があることは街にとって大事なことですし、お金というものはコミュニケーションのツールとしてはものすごく長けたものだと思っているので信頼もしている一方で、お金を介さないコミュニケーションがとれる場が街の中に少ない。
ぶんか小屋が外の本棚で販売している本は、自由値段にしているんです。値段が決められていれば買うのは楽なんですけど、自分で値段を決めるというコミュニケーションを加えることで、ただ“消費する”ではなくて“参加する”関係性をつくっています。お客さんに「みんないくらで買っているの?」と聞かれても頑なに相場は言いません。(笑)
よく、「入りづらい」と言われるのですが、街の中に、「入りづらいしよくわからないけど行けば何かあるかも」と思える場所があることが大事なのかな、と勝手に思っているんです。
おしゃれにわかりやすくカッコよくすることにも憧れがあるんですけど、おしゃれにすると逆に入りづらい人がいたり、カフェみたいにするとお金を払えない人がいたりと考えると、なんだかよくわからないけど、「あなたの席はあるよ」という場所を作っていくし、それこそが文化やアートの本質とも通ずると思っています。
人が入る余裕があるというか、そのわからなさを一緒に考える余地があるのが文化やアートなのかな、と。
日々色々な人たちが出入りしていて、開かれるイベントも様々だから、画一したイメージをつけにくいというのもあるかもしれません。
ぶんか小屋の役割として、最初はお客さんとして来ていた人が企画者側に回っていってくれる場であることも大事にしています。
文化は触れないと視点が身につかないものですが、地方都市ほどどんどん合理化していきやすく、わかりやすく便利な商業施設を作ってしまおうとなっていったときに、文化って一番最初に沙汰されていってしまう。そうして文化資本の格差が深刻化していると言われています。確かに文化がなくても暮らしていけるけど、若いうちに人と出会うことやモノの価値を知るということは、大人になってから埋められるものではないと思います。
-イベントの企画や開催はぶんか小屋からお声がけをしているんですか?
ここへ来たお客さんとのコミュニケーションから生まれることが多いです。
ギターが弾けたりピラティスをやっているというお話を聞くと、ここでやってみない?と焚き付けることもありますし、イベント中に参加者として来ていた人の得意分野がわかって話が盛り上がり、次はその方を先生とした企画が生まれるなんてことも。
あとは、ここへ来る人は仕事をしていない方も多いので、若者サポートステーションという就労支援機関の方が出張で話をする機会を設けたり。
他にも社会福祉協議会が主体となって、地域の方達がみんなでご飯を食べる日があったりもします。
何か困りごとがあったときに、じゃあそれをイベントにしてみよう、となることも多いです。元々は文化芸術が中心でしたが、その中でみんなそれぞれ色々な課題を抱えているので、最近は福祉とアートの間のようなイベントが増えてきているかもしれません。
-先ほど旭川の印象について伺いましたが、緑道にはどんな印象を持たれていますか?
なんといっても、こども冨貴堂という場所が30年ここにあることでできている空気、基盤、磁場みたいなものにみんなが吸い寄せられてきている気がします。
とてもその懐の広さには及びませんが、背中を見てついて行っているようなイメージ。
私が旭川に来たばかり時はこの辺りに今のような雰囲気ではなく、こども冨貴堂がポツンとあるだけでした。
今あるお店も当時はほとんどない状況の中、ずっとあの場所でやってこられているのを見ていたので、それがあって今があるんだなぁ、という思いが基本にあります。
その上で、今は古くから続けられているお店も新しいお店も両方あり、しかもみなさん個人店というのが大きな魅力。ぶんか小屋へも近隣でご商売をされているおばあちゃんやおじいちゃんが来て、昔のお話を聞かせてくれださったりイベントに参加してくださったりしています。
若くてイケてる人が多いイメージを持たれがちですが、それを応援してくださる歴史あるお店の方たちがいて初めて成り立っていると心から思っています。
だからその方達と共にあらなければと思うし、その方達が築いてきた場を継がせていただいているという意識があります。
―最後に、緑道エリアの魅力やおすすめと、商店会について教えてください。
ここの魅力はやっぱり路地ですかね。姫小路やぽつんとある祠、味のある看板、季節ごとに見える美しい木々や花など、路地がとても魅力的です。
この商店会は、みんながお互いを思いやっています。
具体的に何か一緒にやる時もあればやらない時もあって、こういう仕事をしているとなかなかお互いのお店に行く機会も少ないけど、お客さんが繋いでくれることがよくあります。
他のお店の人がぶんか小屋の話をしてくれているということを知る機会がすごく多いし、私も逆に他のお店の紹介することもあります。
直接やりとりをしていなくても、お互いが思いやっているということを知る場面が多い。困っているお店があれば手伝いに行っている「ぶんか小屋ガールズ」と名乗る女の子たちがいるのですが、そうして間に人がいる感じが面白いな、と。
[インタビュアーからひとこと]
竹田さんは、言葉を紡ぐ作業をとても大切に丁寧にされている印象を受けました。自身もプレイヤーでありながら、街に刻まれていく歴史を客観的に見るその視線は、ぶんか小屋そのもののように思えましたが、介在する人や時間を選ばない寛容さが、ぶんか小屋という場にはあるのかもしれないとも感じました。お一人お一人お話を伺うたびに、緑道エリアの魅力の根源が人にあることを実感します。
インタビュアー 木村萩野
洞爺湖町出身。大学卒業後、ホテルや旅行会社で旅行・観光業に従事しつつ、ワーキングホリデーで3ヶ国に滞在。現在は地域おこし協力隊として旭川市の移住促進や中心市街地活性化を進める。旅とキャンプと食べ飲み歩きが好き。
■このインタビュー記事は、三和・緑道商店会と旭川市地域おこし協力隊が共同で制作しております。
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